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千葉家庭裁判所 昭和47年(少ハ)5号 決定 1972年8月17日

少年 M・I(昭二七・八・二七生)

主文

本件申請を棄却する。

理由

(1)  本件申請は、退院後の少年の保護環境、特に家庭環境が望ましくないものであること、および少年の資質の矯正が不充分であることの二点を理由として、昭和四七年八月二七日に二〇歳に達した後も、現在申請中の仮退院の日である同年九月九日まで少年につき収容保護を継続し、その後昭和四八年二月二六日まで少年を保護観察に付するために、少年につき、昭和四七年八月二七日から六ヶ月間、収容継続を申請するというものである。

(2)  少年院における収容を期間満了後も継続するためには、少年の心身に著しい故障があるか、または犯罪的傾向がまだ矯正されていないため少年院から退院させるのが不適当であるという事情がなければならない。本少年院から退院させるのが不適当であるという事情がなければならない。本少年の場合には、心身の著しい故障は見出せず、犯罪的傾向の矯正不充分という要件の存否が問題であるが、この犯罪的傾向とは、必ずしも少年を現実に施設内に収容保護して矯正しなければならない程度のものと解すべきではなく、少年につき仮退院後保護観察を付することにより一定期間の在宅保護をして矯正すべき程度の犯罪的傾向もこれに含まれ、保護観察の必要があることを理由とする収容継続も許されると言うべきである。しかしながら、一定期間収容処遇を受けた者の社会復帰につき、通常これを段階的に行うためにある期間保護観察を付した方が望ましいと考えられるとしても、現在の少年保護の法体系は、そうした考え方を全面的に採用してはおらず、期間満了による収容保護の終了は、退院が原則となつているのであるから、その場合に仮退院をさせて段階的社会復帰のための保護観察を行うについては、これを必要とする特別の事情がなければならない。

(3)  少年は、昭和四五年五月二二日、暴行・窃盗・虞犯保護事件につき、当裁判所により、中等少年院送致決定を受け、同月二八日、喜連川少年院に収容された。同少年院においては、少年は、態度不良のため説諭、不正通話のため訓戒、生活態度不良のため個別処遇と事故を繰返し、進級も遅れ勝ちで、昭和四六年九月一日、一級上に進級したが、その後一〇月九日には職員暴行、抗命により謹慎二〇日、三級降下の処分を受け、次いで、同年一一月四日、特別少年院である小田原少年院に移送された。同少年院においては、少年はまず二級下に編入され、昭和四七年二月一日、抗命・器物破損・額毛抜きにより謹慎二〇日の処分を受けたことはあるが、復級も順調で、同年六月一日には一級上に復級した。その後六月一四日に喧嘩により謹慎五日、六月一九日に謹慎中の額剃り込みにより謹慎三日の処分を受け、現在に至つている。

(4)  以上の少年の少年院における処遇経過だけに照らせば、少年の犯罪的傾向は、まだ十分矯正されるに至つていないとの主張も、肯けないでもない。そこで、事故の内容を、なお子細に検討する。昭和四六年一〇月九日に処分を受けた事故は、職員によりアイロンのかけ方が悪いと注意された際、応答の態度が悪く、正座する旨の指示にも従わず、そのため少年を反省寮に入れようとした職員が少年の左手を捩り上げて少年を連行したが、少年には左鎖骨骨折の既応症があつて、左手を捩り上げられると苦痛が激しく、これを訴えても職員が手をゆるめなかつたため、遂にその場でその職員に暴行を加えたというものである。昭和四七年二月一日に処分を受けた事故は、ソフトボールの練習試合を部屋の窓から応援するようにとの指示に従わず、同室の院生と将棋をさしていたことにつき、反省寮に入れられることになり、どうせ入れられるならと、額毛抜きをし、その時用いた鏡を誤つて割つたというものであり、これについては少年は将棋の相手が何の処分も受けなかつたことに不満があつたと述べている。同年六月一四日に処分を受けた事故は、食事の関係で他の院生と喧嘩をし、謹慎中投げ遣りになつて額剃り込みをしたというものであり、喧嘩の発端は少年が相手に嫌味を言つたことにあるが、最初に手を出したのは相手で、少年は二回殴られて一回殴り返したというものであつて、どちらかが一方的に悪いというほどのものでもない。これらの事故は、いずれも、その内容を見れば、非常に悪質というほどのものでもなく少年の在院期間が二年三ヶ月にも及んでいることを考えると、これらの事故をとり上げて、少年の犯罪的傾向が十分矯正されていないと断ずることは、いささか少年に酷な感じを拭い切れないものがある。

(5)  少年の昭和四五年五月二二日当時の犯罪的傾向の主要な特徴は、少年のそれまでの生育歴の異常、すなわち、父親が幾度も変わり、その間、継父に暴行を振われたこともあつたり、現在の継父とは年齢の差が七歳しかないことなどから、かかる家庭環境に適応せず、これに反発と反感をもち、他方自己確知の未発達の反面としての実母に対する依存と同一視の傾向が著しく、しかも実母もまた同時に反発の対象であることが心理的葛藤を一層解き難いものとして、そのため問題行動に出たところにあると考えられる。当時の少年の性格上の欠陥である日常生活適応意欲の欠如、協調性不足、自己中心的、独断的といつた傾向は、未だ十分に矯正されたとは言い難いが、少年は、現在では、前記のとおりの家庭環境の異常を、それ自体一つの与件として受けとめ、これに反発や反感を示すことがなくなつてきており、少年の在院中幾度となく少年に面会に来た継父を実母の夫で自分にとつては兄のような存在として受け容れ、実母の生き方も肯定し、最近の実母の出産をも素直にこれを祝福したいという余裕を示すに至つており、少年の自己確知と自己抑制の能力は、かなりの程度に開発され、矯正されたものと考えられる。

(6)  上記のとおりの少年の家庭環境への適応性の開発は、同時に、少年の保護環境の改善として現われる。少年の実母も継父も、少年の保護につき決して無関心ではなく、むしろ少年のこれに対する反発が、父母の保護を困難にしていたものと考えられるが、現在では、それぞれ別個の人格として少年、実母、継父が、それぞれの生き方を尊重し合いながら、相互に助け合つていくいわば大人としての関係が形成される見通しにあり、継父と少年の年齢差の小さいことは、現在では、必ずしも少年の保護環境の負の要素にならないと考えられる。また、継父は、社会復帰後の少年の就職先についても、これの発見に努力し、少年も、継父の努力を受け容れる決意でいる。

(7)  以上のような事情に鑑みれば、少年の社会復帰後の行動に、特に困難に遭遇した際にこれに耐える能力が乏しいとみられる点に、一抹の不安が残らない訳ではないが、少年の犯罪的傾向が退院を不適当とする程まで矯正されていないということはできず、むしろ、既に二年三ヶ月も続き既に処遇の最高段階に達している少年の収容保護をいたずらに継続することなく、少年の自覚に信頼して、その努力による社会人としての自己教育を期待する方が相当であつて、少年を保護観察に付することを必要とする特別の事情もないと言わなければならない。よつて、本件申請を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 江田五月)

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